本日2021年10月5日、山本陽子さん著の「さいはてたい」が発売された。
2009年に発売された前作に加筆・修正し、続編を収録した文庫本となっている。
2009年。時が経つのは早い。当時は心斎橋のBENでリリースパーティーをやったり、自分の楽曲をモチーフにした作品が世に出るのは初めての体験だったので、たくさん刺激をもらった。
そして、あれよあれよとドラマ化が決まった。関係あるっちゃあるけど、無いっちゃ無い僕みたいな者も記者会見に参加させてもらった。有名人をたくさん見た。(久しぶりにスーツを着て行ったので疲れた 笑)
記者会見終わりに陽子さんと、共通の友人と三人で下北沢で飲み、偶然大阪からツアーに来ていた藤原弘尭君のライブを見た。その時ベースを弾いていたI君はその後僕のバンドでもベースを弾いてくれた。I君は、僕がよく出演していたライブハウス「P」でPAもしていた。その時にI君が個人的に録音していたライン録りの音源を譲り受け、ソロ活動唯一の音源「楽園にて」を発売した。
僕が「さいはてたい」を書いたのは確か27、28歳頃の冬だった。
その夜、僕は三宮にあるVARITというライブハウスに当時やっていた「アンダーカバー」というバンドのギタリストと飲みに行っていた。調子に乗って二人でジャックダニエルを1瓶飲み干し、最終間際の阪急電車に飛び乗った。
案の定すぐに気分が悪くなり、夙川で途中下車した。電車はあと1本残っていたが、西宮北口止まりで、池田市の石橋という街に住んでいた僕は帰る術をなくした。
とても寒い日だったと記憶している。酩酊状態だった僕はなんとか最終電車で西宮北口に降り立ち、鈍った判断能力で歩いて帰る事を決めた。西宮と石橋はある国道でつながっていた。
国道171号線。
腕時計を見ても時間を読み取れないくらい酔っ払っていたが、とにかくこの道を歩き続ければ家に帰れると思った。シンプルだった。だけど当時の僕の生活はシンプルではなかった。世界中が敵に見えていた。でも僕の周りは良い人ばかりだった。良い人達の敵の僕は、つまりどうしようもない奴だった。
途中で何度も歩道に横たわった。アルコールで火照った体に、冷え切ったアスファルトはとても冷たく優しかった。このまま眠ってしまえば、何もかも無かった事になるのではないか。そう思った。甘美な冷たさだった。
それでもなぜか僕は立ち上がり、歩き続けた。何時なのかもわからない、いつたどり着くのかもわからない。でも「全部わからない」の中に居続けたかった。答えを出したくなかった。何を選んでも間違いを犯すことに違いはなかった。
やけに空気が澄んでいた。国道沿いの情緒のないネオンが眩しかった。いつしか僕の頭の中には歌が流れ続けていた。最後は一体どうやって辿り着いたのか覚えていない。とにかく部屋に転がり込んで、頭の中のメロディと言葉を書き留め、眠った。
次のバンド練習の時にメンバーに聞かせた。ほとんど直すところもなく「さいはてたい」は完成した。その後バンドはなくなり、僕は一人で歌い始めた。「さいはてたい」はバンド時代から歌っている数少ない曲の一つだ。近頃よく「さいはてたい」を演奏する。
最近の僕は、逃れられないものから逃れようとするのをやめているみたいだ。若さの痛みは引き剥がされる痛みだったのかもしれない。「おかえり」と言う昔の僕は屈託なく笑っていて、「ただいま」と返す今の僕は、やっと前に進み出したみたいだ。
余談だが国道171号線を酩酊状態でとぼとぼ歩いた次の日、地獄の二日酔いの中、なぜか妹と二人でUSJに行った。
ずいぶん時間が経ったが、さいはてたいの小説は2冊出ているのに、僕の音源は1枚も出ていない 笑
只今音源制作の真っ最中だが、手伝ってくれている友人との出会いもある意味「さいはてたい」という楽曲がくれたものだった。誰も魂なんか持っちゃいない、クロスロードの悪魔もさぞかし生きにくい世の中で新しいものってまだ作れるのかな。たぶん出来そうです。
小説「さいはてたい」よろしくお願いいたします。

コメント